多くの学問分野の中でも、熊楠が生涯をかけて研究を続けたのは、隠花植物学であった。なかでも菌類(キノコ)・粘菌・淡水藻は特に心血を注いで研究した。
熊楠は、幼少期より『和漢三才図会』や『本草綱目』などの読書から植物に関する知識を備えていた。渡米前の17歳頃には、アメリカの「6,000点の菌類標本」の存在を知り、それを超える日本産菌(キノコ)類の収集を志した。植物採集を本格的に始めたのは、アメリカ時代である。
熊楠は、ロンドンを去る前に、英国学士会員である大英博物館のマレーから、日本の隠花植物の研究をすすめられたという。帰国後、実際に隠花植物などの研究に取り組んだ。熊楠の送った粘菌標本は、アーサー・リスターによって、明治41年(1908)に『ジャーナル・オブ・ボタニー』に発表された。自宅の柿の木で発見した「ミナカテルラ・ロンギフィラ」を新種として発表し、命名したのは、アーサーの娘グリエルマ・リスターであった。
菌類標本について、熊楠は、「只今凡そ七千種の日本産を集めあり。内四千種は極彩色にて図画し記載を致しあり、実に東洋第一の菌類の大集に候。とても生存中には出版の見込みなし」と記したことがある。そのことば通り、それらは発表されないままに終わった。