父にアメリカ行きを認められた熊楠は明治二十年(一八八七)渡米。商業学校や農学校に入学するが長続きせず、アナーバーでは植物採集に励んだ。未知の植物が多いといわれたフロリダやキューバを旅行し、ハバナでは地衣類の新種を発見している。
熊楠は、さらに学問の中心であったロンドンへ行くことを決意し渡英する。大英博物館に出入りをゆるされ、多くの言語をあやつり、植物学、天文学など広範な本を読破し、筆写した。それが「ロンドン抜書」である。科学誌『ネイチャー』に「東洋の星座」が掲載され、話題となった。
しかし経済的な理由により、明治三十三年(一九〇〇)無念の帰国となる。
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