6.01 御進講の日

こんにちは閑話猿です。

本日は昭和4年(1929)に昭和天皇が行幸され、南方熊楠が神島をご案内、御召艦長門で御進講を行った日です。この御召艦は、旧日本海軍でも数隻あり昭和天皇の即位時期だと山城、比叡、陸奥などがあります。御召艦になる条件として、巡洋艦以上で行幸などの時期に任務がない艦など決まりがあるようです。

そのため、昭和4年に重巡洋艦「那智」が長門の供奉艦としてきていますが、紀州に関係のある名前だから選ばれたのではなく、昭和3年(1928)に竣工した新鋭の艦であったためお披露目も兼ねての随行だったようです。紀州に関係あるのだったら、「熊野」も来てしかるべしでしたね。

この他にも軽巡洋艦の大井、駆逐艦は灘風、磯風、濱風、天津風、時津風、島風が供奉艦を務めています。

 

さて、当日の昭和天皇の行幸行程は、9時30分に綱不知から上陸され、御幸通りを徒歩で京都帝國大學附属臨海研究所へ向かわれます。御巡覧の後、御座船で四双島、塔島で御採取の後、神島へ向かわれます。そこで熊楠が御案内し、17時30分より熊楠の御進講となりました。

この一年後に熊楠は神島に行幸記念の和歌を詠んだ石碑を建立します。

一枝も心して吹け沖つ風 我が天皇のめでましし森ぞ (南方熊楠)

そしてそれから30年以上を経た昭和37年(1962)に昭和天皇が再び紀南を行幸された際に、熊楠の名前を込めて歌を詠まれました。

雨にけふる神島を見て紀伊の國の生みし南方熊楠を思ふ

 

神島の行幸記念日

昭和天皇の御製歌碑