皆さん、こんにちは。南方熊楠記念館の館長です。既に当館のブログ、フェイスブックでも紹介しましたが、記念館の展望デッキは目の前の視界を遮るものがなく、天気の良い日は360度の絶景を楽しむことができます。
展望デッキから北西の方角に日ノ岬や御坊、印南方面を臨むことができます。そのため、いつか反対に御坊、印南方面から白浜方面の遠景を写真に撮りたいと考えていました。
そんな中、日高川町へ熊楠ゆかりの地を訪れた帰り、印南町島田で白浜方面の遠景が見える撮影ポイントを求めてうろうろと探しまわりました。
近くに見えている携帯電話の中継塔が設置されている小高い山なら撮れるだろうと、予備知識もなくその山を目ざしました。たまたま登ったその場所は紀州藩が設置した狼煙場の跡でした。
印南町島田 狼煙山(雨降ヶ岡)から白浜町番所山を臨む |
印南町教育委員会が設置した史跡説明板によると、「雨降ケ岡」と称される海抜157mの山で、紀州藩が異国船の来攻に備え江戸時代中期から末期まで狼煙場として使われたと書かれていました。その場所から記念館の建つ番所山は直線方向にはっきりと見渡すことができました。
江戸時代、番所山は紀州藩が「遠見番所」を設け、田辺の与力36名を交代させ異国船の監視をしたと伝えられています。異国船の来航を発見した際、いち早く和歌山城下に伝えるため狼煙を上げ、この「雨降ケ岡」に伝えたことが想像できます。その後、リレー方式で美浜町の日ノ岬や広川町名南風の鼻、有田市宮崎の鼻、海南市大崎、和歌山市雑賀崎などの狼煙場へ伝え、和歌山城下へ伝えたことでしょう。
このようにいち早く異国船の来航を和歌山城下に伝えるため、狼煙という伝達手段やこの狼煙を上げる場所を的確に選定している先人の知恵には驚かされ、納得させられる出来事でした。
史跡説明板 |
白浜町番所山から狼煙山(雨降ヶ岡)を臨む |