こんにちは閑話猿です。
10月29日より、きのくに文化月間連携事業 2023年度特別展「南方熊楠と関東大震災-100年前の地震と影響-」を開催しています。
1923(大正12)年は「亥」年で、熊楠は雑誌『太陽』に「猪に関する民俗と伝説」が掲載されています。この原稿のはじめには「十二月(大正十一年)初め博文館から「イノシシノゲンコハヤクオクレ」と電信あり」とあり、さらに「何の事か判らず。」と衝撃的な出だして始まっています。
1922(大正11)年は熊楠が南方植物学研究所設立の募金活動で3月末から8月まで東京に滞在していました。このような背景もあって、熊楠は猪に関する原稿のことを忘れていたのでしょう。この「猪に関する民俗と伝説」は、『太陽』の1月の29巻1号、4月の同巻4号、6月・9月は7号と11号に掲載されました。
その後関東大震災が発生し、1923年の12月に「鼠」について12月に発送しましたが、『太陽』から編集方針の変更のために不掲載と原稿が返却されます。この原稿は一部や加筆されたものが『集古』や『民俗学』へ掲載されることになりました。
また、長崎県の本山桂川が主宰していた『土の鈴』も熊楠が投稿していた雑誌です。ここでは「巨樹の翁」などを投稿しています。しかし、この雑誌も本山桂川が上京した直後に関東大震災が発生したことにより永久休刊となりました。後の1926(大正15)年には桂川が熊楠の投稿を編集し、『南方閑話』を出版しました。