こんにちは。閑話猿です。今回は熊楠と柳田国男を引き合わせた魚オコゼ・・・ではなく、キセルガイの続きです。
キセルガイのことに関心を持ち、調べていると熊楠もこの生物について書いていました。
大正三年の予の日記に、「四月二十二日朝、下芳養村大字堺の漁夫一人来たり、山オコゼという物を欲しいと言う。子細を問うに答えけるは、山オコゼは北向きの山陰のシデの木などに付く長さ一寸ばかりの小介(貝)、殻薄きものなり。かの村にこの介を持ち、常に魚利または博奕利を獲る者あり。袋に入れて頸に掛け、人に見せず。二年ほど前、そこの駐在巡査谷口某のみこれを見得たり、と。予それは定めてキセルガイの一種であろう。予が熊野で集めただけでも十余種はあり。現に田辺町のこの住宅のはね釣瓶の朽ちたる部分にも棲んでおる。今少し委細にその形状を言わねば、いずれの種が山オコゼか分からぬ、と言うて返した」と記してある(南方熊楠「山オコゼのこと」)。
文中の括弧は引用者が入れた。
「山オコゼのこと」(『郷土研究』4巻7号初出:『南方熊楠全集』第3巻 194頁 平凡社)
とあります。ここでは、キセルガイの殻を人に見せないように持ち歩くと、利益を得られると述べています。ただし、種類が多いためどれかを明確にせねば、どれが「山オコゼ」というかわからなかったそうです。
日本大百科全書によるオコゼに関する民俗の解説では、「山の神が好むオコゼには山オコゼと海オコゼがあり、山オコゼとは、陸産のキセルガイやイタチ、マムシ、毛虫など気味の悪い動物をさす場合もある。」としています。山の神は自分より醜いものを好むという伝承からきているのですが、キセルガイは醜いと言われると疑問符がつきます。可愛らしいと思います。