こんにちは。閑話猿です。
まだウガウガ言っておりますが、今回で最後となります。
ウガに関する習俗として面白いものに、縁起物として船玉に供えるというものがあります。
熊楠は、「ウガという魚のこと」(『南方熊楠全集』2)にて
舟の帆柱に舟玉を祝い籠めある。その前の板は平生不浄を忌み、その上で物を切らず。ウガを獲れば件の板を裏返し、その上でウガをきり、船玉に供え祀る(514-515頁)。
この物手に入れた時、江川の漁夫等、古老の伝えた、海幸お船玉に祈るに験著しい物はこれだろうと言った(以下略)(515頁)。
などと宮崎駒吉翁に聞いたことを書いています。では、舟玉とは何か?
舟玉は「船霊」とも書き、船に宿る守護神で女性であるといわれます。そしてご神体となるのが、髪や銭、人形です。熊楠は田辺周辺で舟を作るときのことを以下のように記しています。
賽子様の立方形を木にて作り、「表見合せ(風の方向をよく見合わすをいう)、艫(舟の後部)仕合せ、中にドッサリ(獲物多く)積み込むこと」と祝す。(中略)さて、紙にて小さき雛を二つ作り、大豆に白粉をしろくぬり、墨にて眼鼻かき(男女)顔とす(「柳田国男宛書簡」『南方熊楠全集』8 11頁)。
とあり、サイコロと雛(男女)を納めたものが舟玉であると記しています。
また田辺市を歩いていて巡りあったのですが、地蔵寺(上の山2丁目)の金毘羅宮は市内で唯一舟玉をいただけたのだそうです(写真1・3)。この地蔵寺、もとは闘鶏神社の敷地内にあった天真寺が前身だそうですが、神仏分離の際に現在の場所へ移り、松雲院と合併したそうです。ここの舟玉が熊楠の記述とどう繋がるか、それとも関係はないのか、興味があります。現在は田辺市で船を新造した際に船玉を入れているかは不明ですが、調査の対象にしていきたいです。