第4コーナー 博物学者として

帰国後の熊楠
 熊楠が帰国後1年程の間に、和歌山市付近で採集した隠花植物は菌類を主に全部で1277種に達し、その後も休むこと無く精力的に各地を回る採集活動は続く。1901年から足かけ3年にわたる熊野植物調査を完了し、計2533に及ぶ菌類、また計852の藻類を採集した。
 那智滞在中は、昆虫や植物を採集し、顕微鏡標品や彩色図譜を作り、またおびただしい数の書物を読み、ディキンスとの共訳『方丈記』草稿の完成や、ディキンス大著『日本古文篇』の校正などとともに、『ネイチャ−』、『ノーツ・アンド・クィアリーズ』への寄稿を再び始め、多くの論文を発表した。
世界中の知識を驚異的に学んだ熊楠は、土宜法竜との間で宗教論をはじめ、自然界と生命についての議論に火花を散らした時期でもあった。また、英文論考の一つの到達点を示すと言われる「燕石考(えんせきこう)」が補筆、完成された時期でもある。 
 
1904年(明治37)10月、田辺に移り住み、帰国してから採集した粘菌や標品の整理、田辺周辺での採集活動を再開するなど、熊楠は大変に研究熱心だった。
これらの短期・長期に渡る植物採集行の中で、「真紅の粘菌」「ユノミネシダ」「熊野丁子蘚(くまのちょうじごけ)」の発見は非常な喜びとして日記の中にも記されている。
 1905年秋、46点の粘菌標本を大英博物館に寄贈。これがイギリス菌学会会長ア−サ−・リスタ−の目にとまり、イギリスの植物学雑誌に発表され、リスタ−父娘との交流が始まった。以後熊楠は、世界的な粘菌学者としてその地位をゆるぎないものとし、昭和4年の御進講に繋がっていくのである。

粘菌新属新種
ミナカテルラ・ロンギフィラ
ミナカテルラ・ロンギフィラ

1910年(明治43)次第に学者や著名人の来訪が多くなり、また執筆活動が多忙を極めたこともあり、野外の植物の研究は自宅の庭で行うことが多くなった。
  1916年(大正5)4月になって、現在の南方邸の土地家屋(中屋敷町36番地)を常楠の名義で購入した。 新しい宅地は大変広く、庭は植物研究園とし、亀やカエルなどの飼育の場所とした、書斎は夜遅く迄の執筆活動や植物などの検鏡と整理等の場として、また、土蔵は多くの書籍や資料の収蔵庫として整えられていった。
 この頃、かの有名な新属の粘菌「ミナカテルラ・ロンギフィラ」(イギリス菌学会会長、グリエルマ・リスタ−女史命名)を自宅柿の木から発見するのである。

昭和天皇への進講・進献
 1926年(大正15)11月、生物学に御熱心な摂政宮殿下が粘菌標本を御覧になりたいとの事を知った小畔四郎は熊楠に働きかけ、37属90点の本邦産粘菌諸属標本を、献進者・小畔四郎、品種選定者・南方熊楠の名で進献した。  
 1928年(昭和3)10月、熊楠は日高郡妹尾(いもお)国有林で約80日間、過労と寒気で腰部の激しいリュウマチに悩まされながら粘菌の採取、解剖、標本や図譜の作成に明け暮れ、今まで知り得なかった新しい菌類をはじめ多数の植物を採集した。

熊楠が詠んだ歌碑
神島の歌碑
 1929年3月の初め、宮城内、生物研究所主任の服部広太郎博士が突然来訪し、天皇行幸の際は粘菌について進講していただけるかと、極秘の問い合わせがあり、熊楠の受諾によりこれが確定した。無位無官の者の進講は前例がなく、熊楠はたちまち渦中の人となると共に、進講の為の標本採集や整理などの準備に追われ多忙を極めた。
 進講の6月1日(昭和4年)小雨の降る朝、熊楠はフロックコートを着用し神島に向かった。 天皇は綱不知(つなしらず)に上陸、午後2時神島に渡られた。
 熊楠は神島の林中をご案内した後、お召艦、長門(ながと)の艦上で約25分間、標本をお見せしながら、粘菌や海中生物について進講申し上げ、更にキャラメルのボ−ル箱に入れた粘菌の標本110種などを献上した。
 熊楠にとって、この日は生涯で最も晴れがましい日となった。

年 次 西暦 年齢 時代 事    項 参考事項 
34 1901 34


孫文和歌山市来訪再会  
      那智勝浦にて生物調査と採集を行う  
      土宜法竜との書簡の中で「南方曼陀羅」を展開  
37 1904 37 熊野古道を那智より田辺に入る 日露戦争開始
明治 38 1905 38





ディキンズとの共訳『方丈記』を発表  
39 1906 39 田村松枝と結婚  
40 1907 40 神社合祀反対自然保護運動起こす  
44 1911 44 大蔵経の抄写索引を作り始める  
      柳田國男との文通始まる  
大正45 1912 45 『日本及日本人』に神社合祀反対意見発表  
2 1913 46 『郷土研究』『民俗』に寄稿  
3 1914 47 『太陽』に「虎に関する民俗と伝説」を発表(十二支考)  
4 1915 48 スウィングル博士来訪 神島に渡る (米国への招きを断る) 第一次世界大戦始まる
5 1916 49 『太陽』『郷土研究』『人類学芸雑誌』『考古学雑誌』に寄稿続ける      
6 1917 50 自宅の柿の木で粘菌新属新種「ミナカテルラ・ロンギフィラ」を発見  
9 1920 53 高野山へ菌類採集 土宜法竜高野山管長と再会  
10 1921 54 「南方植物研究所」設立趣意書成り上京活動する 大正12年9月1日
関東大震災
14 1925 58 矢吹義夫宛長文の履歴書を作成
15 1926 59 『南方閑話』『南方随筆』『続・南方随筆』刊  
昭和  3 1928 61 和歌山県内 川又、妹尾国有林で菌類図録   
4 1929 62 6月1日「神島」にて昭和天皇をお迎えし、お召艦長門でご進講、キャラメル箱にて粘菌110種等進献 昭和6年
満州事変起こる

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