第3コーナー 親しい人々

海外での出会い


 14年に及ぶ海外での生活で、熊楠は深く親交を結ぶに至る人々と出会った。
外国生活の場においても、彼の学識の深さは際立ち、多くの人の心をとらえた。
彼らとの親交は帰国後も書簡などにて続き、熊楠の研究を支えた。

F・V・ディキンズ F・V・ディキンズ
(Frederic Victor Dickins 1839-1915)
若い頃日本に滞在し、帰国後も日本文学の研究を続けた。
のちのロンドン大学事務総長。
1896(明治29)年に、書簡を通じて熊楠と知り合う。ディキンズは57歳、熊楠は28歳だった。年の差をこえて無二の親友となる。ディキンズは熊楠から日本文化の知識を吸収し、熊楠は英国時代に経済的な援助を受けた。
孫文 孫 文
(1866-1925)
中国革命の先導者。
1897年(明治30年)にロンドンの大英博物館東洋図書部長ダグラスの部屋にて熊楠と出会い、すぐさま意気投合し、孫文が離英するまで毎日のように交流して親交を深めた。
熊楠帰国後、孫文亡命中に危険を犯してまで熊楠に会いにやってくるなど、二人の親交の深さがうかがい知れる。
土宜 法竜 のちの高野山管長。
熊楠とはイギリスで知り合い、最も心を許しあい宗教学を論じ合う仲となる。熊楠と生涯書簡の交流が続く。熊楠帰国後にも再会を果たす。

〜帰国〜
=再会・新たな繋がり=

 熊楠の型破りな人柄は、世間では「奇人」と呼ばれたりもしたが、類稀なる学問知識、また、その人間性に魅せられた人々は、彼に協力を惜しまなかった。熊楠もまた、彼らに学問上の助言を与え、資料を提供したりなどしていた。

高野山大門にて 高野山大門にて
大正9(1920)年8月23日
大正9年8月、熊楠は高野山管長土宜法竜の招きで高野山へ向かう。土宜法竜と、明治26(1893)年に英国で会って以来の再会を果たす。9月上旬まで一乗院に泊まり粘菌など採集した。
左から画家の川島草堂、熊楠、小畔四郎(門弟)、宇野確雄。
川島 草堂 (1880〜1940)
ほとんど師につかず、山水、人物、動物、花鳥何でも画題にした田辺出身の日本画家。         
柳田 國男 柳田 國男
(1875-1962)
民俗学の父と呼ばれる人。
初期の民俗学に対し、熊楠とともに大きな貢献を果たした。熊楠にとっては民俗学の良きライバルで、互いに手紙による交流を深め、その数は160通を超える。熊楠のことを「日本人の可能性の極限」と称賛し、敬愛していた。
喜多幅 武三郎 熊楠生涯の親友。眼科医。
小畔 四郎 那智「一の滝」の下で熊楠に出会い、門弟となる。
生涯、熊楠の粘菌研究に協力し、経済面でも熊楠を支援した。
上松 蓊 小畔の親友。ともに、熊楠の研究を終始物心両面から支援した。
多屋 勝四郎 勝四郎の父を尋ねてやってきた熊楠と親しくなった。
後に、熊楠を神島へと案内した。

上記人物以外にも熊楠を慕う多くの人々が、熊楠の研究を日々、支えていた。


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