第1コーナー 幼年期〜青年期
    
和漢三才図会(写本)などの筆写

 幼いころから自然界に対し好奇心が旺盛だった熊楠は、10歳の頃から「和漢三才図会」を読破、転写するとともに、「本草綱目」「大和本草」など和漢の一流の博物書を読み覚え、抄写し、これも十五歳頃までに全部を写し終えていた。

少年読書の図
少年読書の図(清水 崑 画)
 生まれつきの優れた才能は、小学校時代も目立ち、当時の国語辞典等を筆写し自習した。このようなことから、熊楠の父はその才能を伸ばすため、開設されたばかりの和歌山中学(現、桐蔭高校)に入学させた。熊楠の知識欲は高まり、漢学の素読の勉強や、蔵書家を訪ねて書物を読み、記憶して帰って、それを抄写などもした。
105冊もなる百科辞典の抄写や植物辞典の筆写は有名な話であり、5年あまりで完成させたという。
しかし中学校時は勉強にあまり熱心ではなく、植物等の観察ばかりしていた為学業にはあまり力を入れず成績は芳しくはなかった。

 熊楠の生涯はこのように博物学者としての天性の素質を一筋に引き伸ばす道に外ならなかった。15歳頃にはすでに、この方面では普通の大人も及ぶことのできない博識家に成っていた。
 1883年に中学を卒業して上京し、神田の共立学校で勉強した後、大学予備門(現東京大学)に入学した。
 しかし、学校の授業には興味を覚えず、郊外に出て自学し、考古遺物や動植鉱物などの標品を採集することが多かった。
 このころ、イギリスの世界的な隠花植物学者やアメリカの植物学者が菌類を6000点集めたと知り、それ以上の標本を作ろうと思い立ち、1886年(明治19)2月帰郷し、アメリカに渡って勉強したいと父に申し出た。当初は反対していた父も、その熱意に負け渡米を許した。


(↑)熊楠が書き写した
和漢三才図会の一部
年 次 西暦 年齢 時代
分類
事     項 参考事項
慶応  3 1867 0


4月15日 和歌山市南方弥兵衛、スミの次男として生まれる 1867大政奉還
明治  6 1873 6 雄小学校入学 1871廃藩置県
      10才の頃から『和漢三才図会』『本草網目』『大和本草』など筆写する 1877西南の役
12 1879 12 和歌山中学入学  
16 1883 16


神田共立学校入学  
17 1884 17 東京大学予備門入学  
19 1886 19 東京大学予備門退学  
      日本菌類7,000点採集の立志  

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