人生最高の栄誉であった昭和天皇への御進講を終えた後も、収集した膨大な資料の研究、整理の日々が続いた。
南方植物研究所設立に向けた動きの中、衰えた手足に代わる妻や娘の手助けも得ながら昼夜にわたり奮戦し、研究を続けた。
しかし、心身ともに疲労し、太平洋戦争が始まった頃には病状が悪化、「天井に紫の花が咲いている」と言ったあと、家族に見守られて、世界が認めた偉大な在野の学者は、波瀾の生涯を閉じた。
昭和十六年(一九四一)十二月二十九日、七四歳であった。
熊楠の愛した神島を望む高山寺(田辺市)に、いまも安らかに眠っている。